復旧編

2011年3月11日14時46分、東日本大震災発生。
10mを超える大津波は、豊かな農村の風景を一変させました。

江戸時代から田畑として開拓され、農業とともに生きる人々の暮らしが営まれてきた若林区沿岸部。そんな豊かな田園風景が広がる農村風景を、東日本大震災に発生した大津波は一変させてしまいました。そこに住む住民は農業機械や家、農地だけでなく、大切な友人・家族を失ってしまったのです。

2011.3.11~2011.3.31
川内コミュニティセンターでの避難所運営

一方ReRootsの源流は、仙台市の中でも市街地に程近い青葉区川内にあります。
川内地区で被災した人々は、東北大学川内キャンパス近くにある川内コミュニティセンターに続々と集まってきました。体育館は400人近い人であふれ、ラジオから流れる災害の状況に驚くばかりでした。
避難所で過ごす中、大学生を中心として徐々にボランティアの運営組織が出来上がり、水汲みや炊き出し、トイレの水流し、情報の伝達などを進めていきました。
そのうち、被災者の中でも、いわゆる「災害弱者」の存在が明らかになり、日常生活においても何らかの問題を抱えていることも分かってきました。 避難生活から1週間、避難所を集約する動きが始まり、川内コミュニティセンターも立町小学校に集約されていきました。 そのため、避難所を移動する人と自宅に戻る人が出てきました。
しかし、インフラが回復していない地域に戻った被災者の中には、水汲みの手伝いや、食材などの物資の供給を必要としていた人も多くいました。 そこで、ボランティアは引き続きコミュニティセンターに残り、水運びや物資の提供、家庭訪問を通じて地域に根ざした被災者支援ボランティアを始めていきました。

避難所運営の合間、津波被災地のボランティア開始

幸いにも川内地区は比較的被害が少なかったので、沿岸部の津波被災地域での支援活動にも取り組むようになりました。 全国からガレキ撤去や泥かきなどのボランティアが訪れており、学生たちも何か力になりたいと進んで沿岸部のボランティアに行きました。 しかしながら、そこで様々な問題点を目にした学生たちは、自分たち自身でボランティア団体を立ち上げたほうがよいのではないかと考えるようになりました。
仙台市の南東部にある若林区沿岸部は仙台平野に広がる農村地帯でした。そこでは家屋の泥だしやガレキ撤去は行われても、農家にとって仕事場である肝心の農地は手つかずの状態だったのです。学生たちは、この地域の農業再生に着目し、農業支援ボランティアとしての必要性を見出しました。 さらに、農家の生活を回復するまでの支援とは何か、どうやって農家のなりわいである農業を再生させていくのか、長期的視点に立って活動することが求められていました。

2011.4.18
震災復興・地域支援サークルReRoots発足

活動理念

一 相手の立場、目線に立って支援をする
二 相手の社会的地位と尊厳を確立できるような支援を目指す
三 地域の住民と結びつき、共に地域を作る協働の道を歩む

ReRootsが目指すのは、住民が地域の魅力を理解し、農村の持続に向けて動く住民主体の地域再生です。地域を変える力は、住民自身に存在する。その力を発揮してもらうために、上の3つの活動理念をかかげ、ReRootsは発足しました。

 コンセプトの創造

「復旧から復興へ、そして地域おこしへ」

農家・住民の生活を取り戻すまでがボランティアと考えたとき、それは復旧・復興だけでは終わりません。ガレキ撤去により農地を回復する「復旧」、本格的な営農再開後、農業に必要な生産・経営・販路の安定化をはかる「復興」、農業の後継者不足や過疎化などの将来の問題を解決する「地域おこし」までを担っていきます。

2011.7.16
農家への信頼づくりと若林ボランティアハウスオープン

5~6月の間、ReRootsのメンバーは自宅のある市中心部から通って支援しました。「体育会系全力ボランティア」として作業する姿や、徹底した仕事を行うことによって農家からの評価を得ます。

日々の活動とボランティアの増加

 津波により農地にはガレキが押し寄せ、変わり果てた姿となりました。これらのガレキは、機械で全てを取り除くことはできません。機械で撤去した後に残った小さな瓦礫は、一つひとつ手作業で拾い上げる必要がありました。
 農村地帯である若林区沿岸部では、農地のガレキ撤去をはじめとして、営農再開に向けた復旧作業の依頼を多く受けました。震災後は全国各地から多数のボランティアが集まり、ガレキは撤去や側溝の泥出しといった作業を重点的に行いました。2014年までの復旧期における活動依頼件数は約500件、受け入れたボランティアの数はのべ約3万人にのぼります。

農地の復旧

 日々の地道な復旧作業の結果、震災直後に荒れ果てていた農地は徐々に回復し、1年後には野菜作りができるようになるまで復旧しました。震災を経てもこの地で農業を続けたいという住民の思いと、それに応えるべく集まったボランティアの努力の賜物であると言えます。

2011.10
ReRootsファームオープン

地域住民の立場に立って活動を行うにあたり、農家の感性を学ぶことが必要だと考え、メンバー自ら野菜作りに挑戦することを決意しました。地域の農家から農地を譲り受け、「ReRootsファーム」が誕生しました。地域で農業を営んでいるベテラン農家からご指導いただきながら、農家と同じ基準で畑を運営し、美味しい野菜を作ることを目指しました。

2012.4
市民農園オープン

 農家から土地を借りて若林区内外の方々に農地を貸し出し、家庭菜園として利用してもらう荒浜狐塚市民農園と三本塚市民農園をオープンしました。
 狐塚市民農園は、荒浜集落営農組合(現:農事組合法人せんだいあらはま)と協力してオープンした市民農園です。 当時、津波によって町そのものが壊滅した荒浜住民は仮設住宅で生活していました。 入居者のほとんどは、被災前、荒浜で畑づくりをしており、仮設住宅でコンクリートに囲まれた生活では生きがいを失い閉じこもりがちになる心配がありました。そこで、被災者のやりがいづくり・生きがいづくりと引きこもり防止、さらにコミュニティの結びつきづくりのために行っていました。大変好評で2012年と2013年は20区画を超えて利用がなされており、ReRootsも1区画をお借りしていました。 2014年になり、圃場を大規模化する整備や県道のかさあげ工事の開始に伴い、役割を終えました。
 同時期にオープンし、現在も運営している三本塚市民農園は、 被災地域に都市部住民の往来を生み出すこと、農業の楽しさを知ってもらい若林区の魅力を発信すること、遊休地の利用などを目的としています。 季節ごとにバーベキューや芋煮会などのイベントも行っており、地域の方との交流の場、市民農園の利用者さん達の情報交換の場にもなっています。

2012.11
若林区復興支援ショップりるまぁとオープン

 震災から1年半後、営農再開した農家の努力や復興の様子を伝えるアンテナショップとして、「若林区復興支援ショップ りるまぁと」がオープンしました。被災農家の野菜や、ストラップなどの復興グッズを仙台朝市で販売しました。

農家の抱えている問題と復興政策研究

津波により大きな被害を受けた若林区沿岸部ですが、雄大な自然と豊富な地域資源が魅力の農村地帯です。復旧作業により農地は回復したものの、営農再開のためには新規就農者を育成するためのフィールド作りが必要です。復興期に向けて、豊かな地域資源を活かし、跡地利活用を進める構想を描きました。

ReRoots5カ年計画の立案

 「復旧から復興へ、そして地域おこしへ」というコンセプトのもと、5カ年規模で地域の今後を見通し、持続するひなびた農村を目指して地域おこし戦略を立案しました。長期的な視点から地域の状況やそこで起こりうる地域課題を予想し、1年単位で各部門の政策について計画を立てました。