過疎化・高齢化

東日本大震災後、地域再建が行われつつも、過疎化・高齢化が進行しました。地域の自治機能は弱まり限界集落の危機が迫っています。

今の地域の姿

若林区沿岸部世帯数・高齢化率の変化

地下鉄東西線荒井駅からさらに東へ。仙台東部道路よりも東の農村地域をメインにReRootsは活動しています。昔から農業が盛んな地域であり、農業の共同作業などを通じて人と人とのつながりが密接な地域でした。しかし、東日本大震災の津波被害や防災集団移転などにより、過疎化や高齢化が進んでいます。

町名別年齢(各歳)別住民基本台帳人口データ(仙台市HP)
平成22年10月1日現在、令和4年10月1日現在をもとに作成

七郷東部

世帯数:249世帯
高齢化率:36.5%

新型コロナウイルスによって行事やお祭り、町内会の活動がほぼ中断しており、つながりの希薄化が進んでいます。高齢化が年々加速度的に進んでおり、30代、40代の若手世代が少ないため、今後、独居の高齢者などが増えてくれば、問題が顕在化する恐れがあります。

六郷東部

世帯数:299世帯
高齢化率:42.8%

町内会活動には地域差があり、場所によってはすでにコミュニティの維持が難しくなっているところもあります。さらには、新型コロナウイルスの影響によって地域行事が縮小・中止するなどしています。一方で、危機意識から住民主体で立ち上がっている団体もありコミュニティの活性化を進めようとする動きがあります。さらに、町内会長など地域のリーダーは高齢化にも問題意識を持って活動されています。

震災の爪痕

2011年東日本大震災。若林区沿岸部は被災し、津波によって家族、友人、仲間を失った人も多くいます。また農家の方は農地はもちろん農機具、仕事場などすべてを失っておりゼロからの生活再建を余儀なくされました。
七郷東部の荒浜地区、六郷東部の藤塚地区が防災集団移転の対象地域となり、多くの人が若林区沿岸部から内陸部へ流出しました。さらに、仙台市が進める都市集約のもと、若林区沿岸部一帯が市街化調整区域に指定されているほか、震災後の災害危険区域の制定により沿岸部への人口増加はほぼ見込めない状況になっています。

2つの小学校の閉校

2017年に閉校した仙台市立東六郷小学校は、夏祭りや学区民運動会の会場として、六郷東部地域のコミュニティの中心地でした。震災当時も多くの地域住民が避難をする地域のよりどころでしたが、震災による被害から閉校してしまいました。また、2016年には先だって仙台市立荒浜小学校が閉校しました(現在、震災遺構荒浜小学校 として一般に公開しています)。若林区沿岸部の人々の集まりの中心地であった小学校2校の閉校により、地域のイベントもなくなってしまい、子育て世代は利便性から内陸部に移転しました。

まとめ

震災後、内陸部への集団移転や居住禁止区域、さらに小学校の閉校により、過疎化・高齢化が進行しています。若林区沿岸部全体でみても、世帯数が1500世帯から震災後には500世帯にまで減少しました。農村ならではの人々の繋がりも同時に失われてしまい、このままでは地域の自活能力は衰退する一方です。現在、地域住民の多くは農家や高齢者であり、福祉の支援や人の集まる機会を必要としています。行政は都市集約を進めて、都市部と自然保護区画などをはっきり分割する計画を進め、若林区沿岸部のコミュニティ支援が遅れてしまっています。5年後、10年後には、若林区沿岸部地域に限界集落化の危機が迫っているのです。